アニメで描かれた個々の出来事は唯一の真実ではない たまごっち、2016/05/19 00:00

■ 以下は 2016/5/18 のツイッターの投稿に基いています。

アニメで描かれた個別の細かい設定は「唯一の真実」ではなく、たまごっちの基本的な設定を用いて構成された物語の一例と見るべきなんだけど。ほかの例が乏しかったから(それどころか 2009 年以降は連載漫画なども設定を統合する流れだったから)ファンが付くとすればそれのファンだけになった。

「今ではアニメファンばかり」と嘆く人がいたので、それに関する話ね。

例えば『スーパーマリオワールド』の設定で正典と呼べるのはゲーム内で描かれた物で、これは個別の出来事などの描写が非常に希薄。それを踏まえて色んな作家が漫画を創作していた(本山マリオとか、沢田マリオとか、たくさんの四コマ作品とか)。どの漫画が正典でもなく、それぞれにファンがいた筈。

『どうぶつの森』の漫画は、それぞれの作家が自分の「村」の中で独自のお話を作っている。これは地理的に「別々の村」なのでちょっと性質が違う(同一世界に複数の村の併存を想定しやすい)けど、しずえや たぬきちといった共通のキャラがいたり、住民が被ったりもするので完全に分かれてはいない。

ともかく、元々物語がない、または物語が薄い作品を原作として「漫画化」「アニメ化」する場合、そこで創作される個々の出来事や様態は正典(canon)ではない。と言うか、その漫画化作品の *中* では正典と呼んでいいけど、その設定は原則的には原作(物語が薄い方)にまで遡及しない。

「原則的には遡及しない」の例外がいわゆる「逆輸入」ね。

で、そういう漫画化やアニメ化の作品、つまり「公式に出版された二次的な創作物」は、やるなら多様な方がいいと思うんだけど。色んな趣味の人を取り込めるわけだし。テレビアニメ以前からあった連載漫画の設定をアニメに揃えちゃったのが大変つまらなかった。

ファンが多いか少ないか、どのように分布しているかという問題に関しては、私は前から言ってるようにファン界隈に関わらないので、何でもいい。と言うか、それを何でもよくする為に、関わらない。

「それって、くちぱっち」のくちぱっちは ぱっちの森でのんびり暮らしてるだけで、ドリームスクールに留学したり料理に燃えたりしてないので、現行の公式な別設定として貴重ではある。

「それくちの世界にも まめっちは いるのか、彼は何をしているのか」って視点を持つと新鮮だな。

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絵を JPEG で圧縮するとグラデーションに縞模様が出現する問題とその対処 お絵描き、2016/05/18 00:00

■ 以下は 2016/5/17 のツイッターの投稿に基いています。

絵を JPEG で圧縮したら、目立たないように敷いたグラデーションが汚い階段状になって目立ってしまう(バンディング)。ただ階段になるならまだしも、ノコギリ歯のように明暗が交互に現れて見える。離散的な RGB と離散的な YCbCr(輝度・色差)との変換で誤差が出るとかかな…。

色々と実験した結果、個々のグラデーション自体にうまい具合にスクリーントーンを混ぜてやると大分綺麗になる。しかしこれは一々手間が掛かる。全体にスクリーントーンを被せてから、各部分の影響量を調整するような方法は取れないかな。

元の状態(RGB の各チャンネル八ビット)で見ても、グラデーションを滑らかに表現し切れてない部分はある。これが JPEG‐化して悪化するのは、要するに実効的な階調数が 256 よりも乏しくなっているわけだ。となるとまあスクリーントーン(ディザリング)に頼るのは自然な対処。

やっと出来た。結局、縞の発生する要素を個別に網点化して対処した。

ノラたまトリオが水飲み台にいる絵をさっき pixiv に載せました。ツイッターに載せたのと比べて、ユラノの手の赤い部分を広くしたり、とくまるの後頭部の照らされ方を整えたり、流水の光り方や草の茂り方ちょっと変えたりをしました。http://pixiv.net/i/56929451

JPEG で出力するとグラデーションが汚くなる件、白黒のグラデに白黒の網点を「オーバーレイ」で合成すれば何とかごまかせました。一枚目は本来の色。二枚目は違いが分かりやすいように明るく補正した。

目立っちゃいけない物を目立たないようにする努力なので、これ自体で人が喜んだりはしない。しかしここで努力しないと、ユラノでなく謎の縞に視線を取られてしまう。

レイヤー合成モード「オーバーレイ」は、下レイヤーが黒ければ何を重ねても黒いまま、下レイヤーが白ければ何を重ねても白いままで、下レイヤーの中輝度部分にだけ上レイヤーの色が影響するので、グラデの中間色にだけ網点を乗せて段差を散らしたいという今回の目的に適うわけです。

ツイッターに死蔵される情報と、ブログ開設の目的 その他、2016/05/15 12:12

ここ数年、ウエブ上での発言の大半をツイッターに蓄積してきた。「おはよう」みたいな軽い投稿もあるけど、そこそこ纏まった話も結構書いている。連続投稿に一時間ぐらい費やす事は珍しくないし、図示した方が分かりやすい話題では添付画像を一枚作るのに一時間以上掛ける場合もある。現時点のツイログの統計に拠れば、ツイート一個で平均 68.3 字、一日に平均 1938 字をツイッターに書き込んでる。

しかしツイッターの投稿は、ほとんど投稿直後の短期間にしか閲覧されない。どれだけ面白くて有益な情報でも、投稿から 24 時間経ったら新たな読者がそれを見付け出すのは稀だ。一旦「過去ログ」となった情報が新たに役立つ可能性はとても低い。

まづ投稿直後の閲覧に関しては、以前投票機能を使って調べた所(2015/11/14)、私のツイートを「見てない時間帯の投稿もほぼ全部読む」(つまり直近 24 時間程度の未読分を遡っている)と答えたフォロワーは十人しかいなかった。ちゃんと読んで下さっている人がそれだけいるのはありがたいけど、当時の名目フォロワー数が 352 人だったのを考えると驚くほど割合が低い。大半のツイッター利用者は、タイムラインを見てる間に偶然流れて来たツイートだけを受動的に読んでいると理解される。リツイートによって広まった場合はフォロワー以外の目に触れる事になるけど、読み方が大して違う筈もなく、リツイートが偶然流れて来たのを受動的に読んでいるわけだ。

でも根本的な問題はそこではない。見てる間だけ受動的に読む人も、未読分を残さず読む人も、フォローした時点より前のログから情報を得る事がほぼないという点では同じだ。今フォローしてない人が過去ログに接する可能性は一層低い。過去ログにはたくさんの時間が費やされているのに、生かされないのが勿体ない。

今、過去ログの内容が人の目に触れるとしたら、全部読破するのはあり得ないので、読者の興味に合う情報を抽出して読むのが想定される。私がツイッターに登録したのは 2009 年七月で、今までに七万個以上のツイートを投稿している。これを読破するのは無理な話だし、私も他人のログを読破しようとは思わない。実際、古いツイートがイイネされたり、リツイートされたりする事がたまーにあるのは、恐らく検索機能を経由してるんだろう。これは「情報の抽出」に当たる。但しツイッターの検索機能はあまり信頼できない。形態素解析を過信した作りなので、平仮名の未知語が大抵駄目だ(たまごっちの名前を入れても使い物にならない)。しかも一部のツイートが不規則に抜けていたりする。

検索機能の問題はツイログでは発生しないのでいいけど、そもそもツイートという様式で記述された情報は、ログの閲覧者にとって探し出しにくいんだ。書いた本人でも「数年前に書いた覚えがある」と思って探し出すのに骨が折れたりする。個々のツイートには分かりやすい「題名」がなく、コマ切れの本文が剥き出しになっているだけ。検索で見付かるかどうかは個々の言い回しに依存する。私はなるべく検索しやすい語句を各ツイートに常に織り込むように注意してるけど、字数制限もあるから或る程度は省略しないといけない。それに連続投稿の一部だけ検出されたら、その前後を繋ぎ直して読むのが面倒だし。

一方でツイッターには、考えた順に小さく纏めて送り出していく書きやすさがある。連続投稿は初めから長い話を書こうとした場合だけでなく、書きながら考えたら結果的に話が膨らんでいったという場合も多い。ツイッターを廃止して長い記事だけを書こうとは今のところ思わない。

そこで、ツイッターに書いた話を簡単に記事として纏めていけばいいのではないかと考えて作ったのがこのブログ。これを利用すれば、ツイートにはない以下のような特性から、過去の情報が得やすくなると期待される。

  • 一続きの話がコマ切れの連続投稿ではなく一本の記事になる
  • 分かりやすい題名が付いて、読む前から内容が見通しやすい
  • 分野別に分類(カテゴリー分け)して一覧できる
  • (タグで横断的に記事を探せる…のは利用するかどうかまだ分からない)

情報の完備した分かりやすい記事を書こうとすると時間が掛かるので、このブログではあまり欲張らないで手早く書き上げるようにしたい。この記事は割ときちんと文章を書いてしまったけど、毎回そこまでの内容は求めない。「この状態ではまだ公開できない」と思ってお蔵入りにするのも勿体ないし、一個に手間を掛けたらほかの物を作れなくなる。あまりこだわらないようにして、書きやすさを最優先したい。

雑な状態で公開するので、記事の投稿後一週間ぐらいは加筆修正を一々記録しなくてもよい事にする。

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