■ 以下は 2016/3/28 のツイッターの投稿に基いています。
「思ったように描く」以前に「対象物に忠実に描く」事を昔より重視するようになったかも知れない。例えばメロリーの絵は「私は普通こんな顔を描こうと思わないけど、このキャラは幼くて甘い感じが特徴だから、口をこういう形に描く」みたいな判断が関わってる。
忠実に描きたい気持ちが強くなったというより、忠実に描けるだけの能力を得たという面が大きいと思う。既存のキャラクターに独自性を塗ったくろうとは元々思ってない。
昔は「似せたくてもどうしても似ない」事が多かった。今、似せようとして結構似せられるのは、自分がキャンバス上に描いた形と対象物との差異が細かく認識できるようになったお陰だ。裏を返せば、そういう練習を積んでない人というのは、昔の私のように、違いがよく見えないんだろう。
あなたの独自性の誇示を目的として他人の作品をオモチャにするんぢゃありません。
私が二次創作の絵を描く時は、或る程度 原作に似せたとしても好きなように改変する部分が必ずあるし(物の形状に限らず人物の言動や場面設定も)、私なりの隠しがたい癖が出てる筈なので、その違いに気付いてもらえたら嬉しいんだけど、練習を積んでない人にそれを求めるのはムチャなのではないか。
「この点がこのように違う」とハッキリ指摘するんでなくても、「ちょっとさゆぬ感ある」という程度には感じてもらえないかなあ。
いや、私は昔から「どう頑張ってもさゆぬ臭い絵しか描けない」と自覚してて、でもその抜けない癖も好きではあり、それを前提としてなるべく対象物に忠実に描こうと努力していたら、最近「似せるのがうまい」みたいな評し方をされ始めて、もしや他人の目には既に「さゆぬ臭さ」は消滅してるのかと焦る。